Jun 01, 2011

私も経験があります。リーク

アパート1階に住んでいるときです。バスルームが大洪水にあります。どうやら、浴槽だったので漏れがあるものでした。消防署に連絡して、真空、自動車からの水を吸い取るほどでした。しかし、水漏れは停止していない。結局、浴槽した下水管に亀裂が入ったためだと明らかにしてから、非常に大規模な工事されています。
最近のお店にウォーターサーバーが置いてあり、ば必ず飲んでしまう。レバーを押すだけで冷たくて美味しい水が出てくるので、この家にいるととても便利で素敵なんじゃないか惹かれてしまう。しかし、この前TV番組での浄水器とウォーターサーバーのどちらがコストがいいか比較するコーナーがあり、圧倒的に浄水器が安かった。それを見て家は浄水器のまま良いかとあきらめた。
 地球温暖化や省エネについて学ぶ「温暖化防止授業」が21日、京都府南丹市八木町の吉富小で行われた。5年生15人が自転車を使った発電などを体験し、環境問題について考えた。
 府南丹保健所が、府地球温暖化防止活動推進員を管内2市1町の小学校に派遣して行う取り組み。
 授業では推進員が、太平洋の島国で水没の危機が迫る状況や、清水寺(京都市)で紅葉が遅れる様子など、温暖化の影響を写真を使って説明。「水道水を使っても、浄水場で電気を使うので二酸化炭素が出ます」と身近な例を示すと、児童は「えーっ」と驚きの声を上げていた。
 自転車で発電機を回しラジカセを動かす実験には全員が参加。ペダルが止まるたびに曲が途切れ、電気を作る大変さを体感した。電球や扇風機などの消費電力も調べ、省エネについて学んだ。

 1945年6月から11月ごろまで、名護市豊原にあったミヤランシン収容地区。中南部で負傷した人たちを治療する病院があり、埋葬地もあったとされるが、実態は不明だ。当時、収容地区内の病院で治療を受けた島袋文雄さん(81)=那覇市=がこのほど、埋葬地の様子を証言した。現在の久辺小学校から辺野古に抜ける道沿いに病院、埋葬地、捕虜収容所があったという。島袋さんは「病院向かいの池みたいに大きく掘られた場所が埋葬地だった。まだ遺骨が眠っている可能性がある」と語った。
 名護市史編さん係によると、ミヤランシン収容地区に埋葬地はあったことは確かだが、場所は特定されておらず、収骨されたかも確認できていない。同係は「収容地区の詳細を知る上で貴重な証言」としている。
 当時15歳だった島袋さんは祖父、母と南部へ逃げた。島袋さんは6月19日、喜屋武村(現糸満市)で艦砲射撃の破片で右肩から腕にかけて負傷し、22日に捕虜になった。軍用トラックでたどり着いた場所がミヤランシンだった。
 病院に着くと重傷患者は首に包帯がかけられた。島袋さんは右腕が腫れ、痛みがひどく、米国人の軍医に手まねで破片の摘出手術を願い出た。手術のことは覚えていない。沖縄人のおじさんたちに顔をたたかれて目を覚ました。「死んだと思って埋めるところだったよ」。出血多量で仮死状態となっており、一時、死体安置所に置かれていたという。
 病院の道向かいにある埋葬地には、大きな池のように掘られた場所に毛布にくるまれた遺体が埋葬されていた。墓標などはなかった。
 現在、豊見城市内の病院に入院中の島袋さん。「収容所でも多くの人が亡くなった。私の人生も残り少ない。早く実態把握、収骨をしてほしい」と訴える。
 終戦当時、豊原の人たちは隣の久志や辺野古に避難しており、ミヤランシンには捕虜や中南部からの患者しかいなかった。現在、戦争編の編さんに取り組んでいる名護市史編さん係もミヤランシン収容地区の詳細をつかめておらず、「情報を寄せてほしい」としている。(玉城江梨子)

 京都市左京区の昭和期の暮らしを活写した「左京今昔写真展」が、同区総合庁舎の区民ロビーで開かれている。鴨川の友禅流しや蹴上インクラインで魚釣りをする人々など、今となっては失われた生活風景を見ることができる。
 左京区役所主催。同区の昔の暮らしに詳しい大阪府立大の中村治教授が、20年かけて収集した昭和初期から同40年代の写真59枚を展示した。
 当時、まだ農村風景が残っていた岩倉や一乗寺、花背や大原地域などのスナップ写真が多い。かまどの前の土間で干し柿を作る女性や、戦死した夫を迎えるため自宅の障子を張り替える妻、小学校にプールがなく白川をせき止めて水泳に興じる児童たちの姿を写している。八瀬の遊園地や宝ケ池競輪場など、昔懐かしい施設も登場する。
 30日まで。無料。

 京都市左京区の永観堂で21日、恒例の「第29回左京区民煎茶(せんちゃ)会」が開かれた。外国人留学生を含む430人が参加し、煎茶道方円流家元の水口豊園さんらのもてなしを受けながら、甘い風味のお茶「桃山」を楽しんだ。
 区内の文化施設で煎茶席を体験してもらおうと、区役所などでつくる左京区民ふれあい事業実行委が毎年開いている。
 茶席は永観堂会館であり、同流派の師範がゆったりとした作法で急須から茶器に茶を注いだ。参加者は季節感のあるアジサイの生菓子とともに、煎じ茶の深い味わいを堪能していた。
 煎茶会には区内の大学に通うベトナムや台湾などの留学生10人も招かれ、京都工芸繊維大2年で中国出身の労夏韵(ロウシャイン)さん(20)は「中国はお茶だけで楽しむので、お菓子と一緒に味わう日本の文化は新鮮でした」と話していた。

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